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Introduction作品紹介

『ガールフレンド』Girlfriends

1978年|アメリカ|カラー|88分|字幕翻訳:大石盛寛

監督
クローディア・ウェイル
脚本
ヴィッキー・ポロン
撮影
フレッド・マーフィ
出演
メラニー・メイロン、アニタ・スキナー、イーライ・ウォラック、クリストファー・ゲスト

storyあらすじ

駆け出しのカメラマンであるスーザン・ワインブラット(メラニー・メイロン)は、ポートレートやウェディング写真の仕事で生計を立てながら、プロとしての道を模索している。親友でルームメイトのアン・マンロー(アニタ・スキナー)も同じく夢を追い、詩人を志している。 スーザンの仕事が上手くいき始めた矢先、アンは恋人マーティンとの結婚を決心したことを打ち明ける。スーザンは祝福の言葉をかけるものの、動揺を隠せない。一人暮らしがスタートし、寂しさを紛らわせるかのように、これまで以上に恋や仕事に打ち込むスーザン。結婚で夢を諦めたアンはその様子を羨ましく見ている。二人の友情と夢の向かう先とは……。

about Movie本作について

ヴィッキー・ポロンとの共同脚本は、ウェイル監督自身の体験に基づくものである。自身もカメラマンとして活動していた時期があるなど、主人公スーザンと重なる点も多い。夢を追いかけながらも、周りの同年代女性の成功や結婚が気になってしまう、若い女性の揺らぐ心の内をリアルに描いている。不完全で親近感のある主人公に、共感を覚える女性は少なくないだろう。 資金不足のために完成までに3年の月日を要するなど製作には困難が伴ったが、公開後は女性の友情や大都会で成功を夢見る若い女性をテーマとした作品の先駆けとして高い評価を得る。本作の影響は、その後の女性製作者たちの間に広く波及し、特にグレタ・ガーウィグやレナ・ダナムの作品には顕著に見られるとされる。1978年、本作はロカルノ国際映画祭で銅豹賞、トロント国際映画祭で観客賞を受賞した。1979年、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞でダヴィッド特別賞を受賞。同年、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞にもノミネートされた。

about Director監督について

クローディア・ウェイル

ニューヨーク出身の監督・俳優。大学卒業後、フリーランスのカメラマンとしての仕事や、数多くのドキュメンタリーの製作を手がけた。シャーリー・マクレーンと共同撮影・監督作である中国を舞台としたドキュメンタリー作品がアカデミー賞にノミネートされるなど、ドキュメンタリー分野で高い評価を得て、TVシリーズや映画、演劇の製作に携わるようになる。また、本作『ガールフレンド』では、トロント国際映画祭の観客賞をはじめ、数々の国際映画祭で高い評価を受けた。しかし長編映画監督としては、ジル・クレイバーグ、マイケル・ダグラスが出演した次作『イッツ・マイ・ターン』(1980)が、現時点での最後の作品となった。近年ではレナ・ダナム製作のTVシリーズ『GIRLS/ガールズ』のエピソードで監督を務めたほか、アメリカ有数の大学で、映画、テレビ、演劇のための演出の教鞭をとっている。

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  • 3本作で伝えたかったこと
  • 4ドキュメンタリー出身監督ならではのこだわり
  • 5女性同士の友情(sisterhood)

キャリア

ドキュメンタリー畑で活躍していたウェイルは、映画制作に関しては全くの素人であった。そのことを 示す印象的なエピソードがある。撮影初日にスーザンとアンがカメラに向かって歩いてくるシーンがあったが、全然歩いてこないのでウェイルが不思議に思って周囲に尋ねると、監督が「アクション」と言わないからだと呆れられたという。ウェイルは「アクション」なんて映画でしか言わないフィクションだと思っており、大変驚いたと後に語っている。本作の後に映画『イッツ・マイ・ターン』を監督したが、その際にスタジオでセクハラを受け、ハリウッドを出ることを決心したという。監督業をやりたいという思いは変わらず、ニューヨークのクラブやシアター、後にはロサンゼルスに移住してTVシリーズで監督業に従事した。最近ではその経験を買われ、TVシリーズにおいて、キャスティングや作品の方向性を決める重要な役割である、ファーストシーズンの監督を多く任されている。

制作裏話

この映画は、資金面で苦労した。当初はアメリカン・フィルム・インスティテュートから1万ドルの資金提供を受けた30分の短編映画としてスタートした。ウェイルは、この物語を長編映画にしたいと考え、国立芸術基金とニューヨーク芸術評議会から8万ドルの資金提供を受けた。しかし、その資金が底をつくと、個人投資家が見つかるまでの間、制作は停滞した。そのため、結果的に制作期間は2年半に及んだが、実際の撮影はたったの6~7週間程度だったという。一方、キャスティングについては比較的スムーズに進んだそうだ。ウェイルは交渉役の弁護士を雇う資金がなく、自ら映画俳優組合へ交渉しに行った。当初組合が提示した費用は週500ドルであったが、交渉の末、映画が売れれば倍払うことを条件に半額の250ドルでの契約に漕ぎつけた。無事に契約を結び、組合から紹介されたオーディション参加者は何百人にものぼったが、主要キャストについては一目で決まったと語っている。

本作で伝えたかったこと

ウェイルは、本作は自分自身が経験したことを描いたものと語っている。制作当時、姉妹や友達が結婚していくなか、自分だけがしていないという状況で、まるで自分が変人のように感じられたという。このような不安な感情がスーザンに投影されている。また、スーザンはウェイルと同じくユダヤ人の設定であり、作中でラビになりたいというシーンがあるが、これも実際にウェイルが思ったことだという。さらに、本作で役者陣の衣装はほとんど自前であったが、スーザンの衣装は全てウェイルの私物であった。外見から内面まで、スーザンはウェイルの分身だったのだ。ここまでして本作を通じて伝えたかったことについて、後のインタビューでこのように語っている。「ほかの物語では脇役になるような女の子を主役にしたかった。少しぽっちゃりしていて、ブロンドヘアでもなく完璧でもなく……それが自分だったから。まさに主人公と言われるような女の子たちと同じように、私たちが主人公の物語だって面白いって伝えたかった」。

ドキュメンタリー出身監督ならではのこだわり

ウェイルは映画の編集を彫刻に例えた。いらないものを削ぎ落として必要な部分だけ残す。その緻密な作業を通して映画が伝えたいことを組み込んでいくのであり、これはドキュメンタリーと同じだと語っている。本作ではそうした作業のなかで、ラストシーンを大幅に変更することになった。当初考えていたエンディングはスーザン、アン、マーティン、エリックの四人が火を囲っているシーンだった。しかし撮影している最中に、この映画で一番大事なのはスーザンの成長だと思い直したウェイルは、そのことが撮れていないと感じ、撮影担当に常にカメラを回しておくように頼んだ。テイクの間のリラックスした俳優たちを撮りたかったからだ。酒を飲むシーンは実際にテキーラを飲んで撮影され、俳優たちはかなり酔っていたという。そのときテイクの前後でスーザン役のメラニーがおもむろに下を向いて微笑んだ。それが最終的にラストシーンに選ばれた。このようにリアルにこだわることで、作品のメッセージを正しく観客に伝えようという姿勢はドキュメンタリー出身ならではと言えるだろう。

女性同士の友情(sisterhood)

本作でスーザンとアンはお互いに刺激を受けながら、それぞれのキャリアを応援し合う関係である。この関係性の背景には、1970年代に訪れたフェミニズムのセカンドウェーブがある。女同士競い合っていた時代が終わり、女性同士の友情(sisterhood)の強さを再認識したときであった。ただの仲良しではなく、お互いに高めあう、お互いに投資する仲間としての意識が高まった。ウェイルも自身の姉(妹)をPAとして雇い、他のスタッフと同様に給料を支払ったという。ウェイルが本作で示した女性同士の友情(sisterhood)は、後年の作品にも大きな影響を与えた。レナ・ダナムも『ガールフレンド』を見て、衝撃を受けたクリエイターの一人であった。彼女は、TVシリーズ『GIRLS/ガールズ』を制作するにあたり、撮影前にキャストやクルーに参考資料として『ガールフレンド』渡していたという。なお、ウェイルは『GIRLS/ガールズ』のエピソード監督も務めている。彼女のエピソードの最後には、ダナム演じるハンナとアリソン・ウィリアムズ演じるマーニーが電話で話すシーンがあるが、どちらも不満はあるがそうでないふりをしているというもので、『ガールフレンド』でのスーザンとアンの会話を彷彿とさせる。

作品情報テキスト/はせがわなな

映画が大好きな会社員。大学時代、映画好きの友人に1日1本のルールを課されたことから次第に映画ファンになった。1960〜2000年代の洋画を中心に、お気に入りの作品やレアな作品のDVDを集めることが趣味。最近は、自宅の棚をプチDVDショップ化することにはまっており、休日はDVDハンティングと在庫管理に勤しむ。