Movie Review映画批評
『ガールフレンド』Girlfriends
監督:クローディア・ウェイル
暗闇に鳴り響くシャッター音。カメラを構えた女=スーザンが、「明かりが最高の状態なの」と言って、薄明の中で眠る女=アンの寝姿を撮っている。しかし、カメラ音で目覚めてしまったアンは起き上がり、部屋の電気をつけることで、スーザンの撮影を中断させてしまう。この時、アンはスーザンにこう問いかける。「また悪夢を見たの?」アンが「また(again)」と言うのは以前にも同じことがあったのだろうか。つまり、スーザンが夜中に起き出して、一方的に無防備なアンの寝姿を撮るといったことが。このスーザンの行為は、芸術家が自身のミューズと結ぶ支配的な関係性を彷彿とさせる。だからアンはスーザンとのそうした関係性を拒絶したように見える。このファーストシーンにおいて提示されるのは、カメラが持つ自らの加害性である。そしてその後、アンが家を出ていくとともに、スーザンは不自然なほど写真を撮る素振りを見せない。それはこのフィルム自体がスーザンをフレームに捉え続けるように、被写体がスーザン自身に移り変わったことを意味する。その変化は70年代以降、女性写真家によるセルフポートレートが台頭する歴史と見事に呼応する。
またファーストシーンにおいて、アンは二度同じセリフを言う。「 何をしているの?(What are you doing?)」この問いかけは、スーザンのみならずこのフィルム全体へ投げかけられたものとなっている。登場人物たちの多くは社会に出てから結婚するまでの間の微妙な人生の分岐点におり、それぞれがそれぞれの道を選択し、歩んでいく。つまり、この『ガールフレンド』というフィルムは「あなたは一体何をしているのか?」という問いに答えていく映画だと言える。それは60年代以前の映画において、女性ではなく男性のキャラクターに対してのみ問われていたものである。女性は家庭に従事する存在だったがゆえに、決まりきった役割を与えられていたに過ぎない。しかし、このフィルムにおけるスーザン含む登場人物たちは何者でもないがゆえに無数の選択肢を持っている。壁を赤色に塗るか、緑色に塗るかを吟味することができるように。それもただひとつの選択肢を選び取るという素振りはなく、選んだものをすぐに捨て去ることができるという気まぐれさとともに。「彼を愛してるかもしれない」と言うアンは次のシーンで、原稿を床にばら撒きながら「あのバカ男!」と罵倒する。あるいは結婚式後のパーティで、スーザンがエリックと初めて会う場面の噛み合わなさ。「ブーケは取ったけど、すぐに落とした」や「ダンスする?」「ノー」と言う会話の後、すぐに「ダンスしない?」と聞き返すあのでたらめさ。『ガールフレンド』の登場人物たちは皆、自らの意思で取捨選択をし、その因果を自らに引き受けていくのである。
何かを選び取り、何かを捨てること、その因果関係はアンとスーザンの間で見事なコントラストをなしている。アンは結婚し、子供を産んで社会的な安定を獲得したがゆえに自分一人の時間を失い、詩の創作に時間を当てることができない。一方のスーザンは独り身で自由な恋愛をし、いつでも写真を撮ることができる。しかし、生活は困窮し、精神的にも不安定な日々を送ることになる。もともと同じボヘミアン的な思考にあった二人の友情はアンの結婚によって引き裂かれるが、この二人が今後も友達でいられるだろうか?というのがこのフィルムが掲げるもう一つの問いである。
クローディア・ウェイルが『ガールフレンド』以前に撮った作品『Joyce at 34』は、やがて映画監督となるジョイス・チョプラが出産し、子育てをしながら創作活動を両立させていくことの困難さを映し出した映画である。子育てに奮闘するチョプラの姿が今作のアンのモデルとなっていることは言うまでもない。つまり、ウェイルはアンをただ家庭に入っていく女性として描いているのではなく、女性が創作活動を維持していくことの困難さを、このフィルムにおいても探求しているのである。今作においてはスーザンだけが芸術家としての成功への切符を掴み取ったように見える。けれど、チョプラが出産後に見事、映画監督としての芽が開くように、アンが家庭の中でも詩作を続けていく描写こそが重要なのである。さらに言うなら、スーザンはやがて独り身ではなくなるだろうという予兆をフィルムに残すのだ。
だから『ガールフレンド』は芸術への道を進んだ女性と家庭へ入っていく女性を分け隔てるような映画では決してない。チョプラだけでなく、ウェイルもまた結婚し、二人の息子を育てているように、アンの中にもウェイルはいる。そして言わずもがな、夢見がちでアフロヘアーのスーザンは若き日のウェイルの姿を想起させる。つまり、『ガールフレンド』とは女性についての探究のフィルムであり、クローディア・ウェイルのセルフポートレートに他ならない。
執筆者/松田春樹
Nobody編集部員。Nobodyが発行するZINE 「MUG」ではデザインと執筆を担当。オリヴィエ・アサイヤスやミア・ハンセン=ラブ作品の批評、アルノー・デプレシャン 、ギョーム・ブラックへのインタビューなど。