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Introduction作品紹介

『天使の復讐』Ms.45

1981年|アメリカ|カラー|80分|字幕翻訳:大石盛寛

監督
アベル・フェラーラ
脚本
ニコラス・セント・ジョン
撮影
ジェームズ・モメル
出演
ゾー・タマリス、ピーター・イェーレン、エディッタ・シャーマン、ヴィンセント・グルッピ

storyあらすじ

ニューヨークのドレスメーカーに勤める内気な女性ターナ(ゾー・タマリス)は、声を発することができない障がいを抱えながら、日々真面目に働いていた。ある日の帰宅途中、仮面をつけた男に路地裏に連れ込まれ、強姦される。心身ともに傷つき、やっとの思いで帰宅すると、部屋で待ち伏せていた別の強盗にも襲われる。恐怖のなか、とっさの反撃で形勢逆転し、ついには殺してしまう。強盗が持っていた拳銃を手にしたターナは、夜な夜な街をさまよい、復讐を果たすかのように次々と男たちを殺していく。

about Movie本作について

性犯罪の被害者となった主人公が男への復讐を果たしていくスリラー映画。当初は自分を守るために仕方なく殺人を犯す主人公であったが、徐々に殺しへの強い意志をもって街に繰り出すようになる。その姿は男を殺すという使命を背負った女戦士を思わせる。内面の変化を表すように、気弱で化粧っ気のなかった主人公が、バッチリと化粧をして刺激的な服装に身を包んだ姿は、まるで別人のように美しくもある。また、自らの正義を果たすために殺人をも犯してしまうという人物像は、本作がインスパイアを受けているとされる『狼よさらば』(1974)、『タクシードライバー』(1976)に共通している。エキゾチックな顔立ちで独特な存在感を示すゾー・タマリスは、本作がデビュー作にして初主演作である。彼女はフェラーラ監督の実生活のパートナーでもあり、俳優のほかに音楽家・政治活動家としても活動していたが、その後深刻な薬物中毒となり、37歳という若さでこの世を去った。本作は、劇場公開時には厳しい批評が多かったものの、現在ではアンダーグラウンドやインディペンデント映画のファンの間で高く評価されている。

about Director監督について

アベル・フェラーラ

アメリカのインディペンデント映画監督。ニューヨーク・ブロンクス出身でカトリック教徒として育ったという背景は、彼の多くの作品に影響を与えている。カルト的な人気を得るきっかけとなったのは、長編2作目の『ドリラー・キラー』(1979)で、主人公の電動ドリルで殺人を重ねる芸術家を監督自身が演じた。その後の代表的な作品としては、本作をはじめとし、『キング・オブ・ニューヨーク』(1990)、『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992)、『フューネラル』(1996)といった、都市部にはびこる暴力や犯罪を描く作品がある。本作の主人公を演じたゾー・タマリスがフェラーラ監督とともに共同脚本を務め、ニューヨークの悪徳刑事を描いた『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』は、ショッキングな内容から賛否が分かれる問題作となったが、インディペンデント・スピリット賞では作品賞・監督賞を受賞した。そのほかSFや宗教ドラマ、伝記映画などにも取り組み、幅広いジャンルで活躍している。

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キャリア

フェラーラが映画監督としての道のりは、サンフランシスコ・アート・インスティトゥートの学生時代から始まった。 そこに教師の一人としていたのが、前衛映画監督ローザ・フォン・ブラウンハイムであった。 ブラウンハイムは、ドイツ映画界におけるLGBTQ活動家の先駆けであり、ニュー・ジャーマン・シネマの異端児と呼ばれた人物である。彼に影響を受けたフェラーラは、在学中に自主制作の短編映画を多数監督した。1976年に映画学校を中退した後、職を失ったフェラーラは、ペンネームを使用して最初の長編映画作品となるポルノ映画を監督した。初期作品では、脚本家仲間で幼なじみのニコラス・セント・ジョンの助けを借りて、制作された『ドリラー・キラー』(1979年)と本作『天使の復讐』でインディーズ界から注目を集めるようになった。その後、同じイタリア系アメリカ人監督のマーティン・スコセッシ作品の常連として名を挙げつつあったハーヴェイ・カイテルを起用した『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992年)で高い評価を得た。その後の作品ではクリストファー・ウォーケンやウィレム・デフォーと多くタッグを組み、スリラーから宗教ドラマまで幅広いジャンルで活躍した。インディペンデント系映画監督として高い評価を得た一方、過激な性・暴力描写や宗教的イメージを用いる挑発的な作風は、たびたび物議を醸してきた。

制作拠点

初期はニューヨークを舞台とした作品が多く、『ドリラー・キラー』や本作『天使の復讐』、『キング・オブ・ニューヨーク』(1990年)、『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』を監督した。1990年代にはハリウッドに進出し、SFリメイク作の『ボディ・スナッチャーズ』(1993年)とマドンナ主演のサイコドラマ『スネーク・アイズ』(1993年)の2本のスタジオ映画を監督。後にカルト的人気を博すものの、当時は酷評された。 その後『フューネラル』(1996年)をアメリカ公開作品の区切りとし、拠点をヨーロッパへ移す。当初は資金調達しやすいという理由であったが、ローマでの『マリー ~もうひとりのマリア~』(2005年)の撮影をきっかけに2002年からローマに住み、その地で出会ったクリスティーナと再婚。子供も生まれ、映画制作と私生活の両方の拠点となった。ハリウッド進出について、フェラーラは後のインタビューで、アメリカ人映画監督なら誰もが思うように、自分もハリウッドに行って、もっといい機材で撮影して、もっと大きな映画を作りたいという思いがあったと振り返っている。そうしてハリウッドへ行き、うちのめされ、去ることになったと言い、今は必要がない限り、ハリウッドに行って仕事を得ようとは思わないとも語っている。ちなみに、近未来の東京を舞台とした監督作『ニューローズホテル』(1998年)は、謎のカタカナ表記や日本描写が登場する異色の作品となっており、世界中で大ヒットしたゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」のキャラクターデザインで知られる天野喜孝氏、ミュージシャンの故・坂本龍一氏が出演している。

社会的背景

『ドリラー・キラー』と本作『天使の復讐』の舞台となったニューヨークのロウアー・イーストサイド(マンハッタンの南側)は、歴史的に移民や労働者階級が多く住んでいた地区で、アーティストやミュージシャン、学生が集まる場所でもあった。ブロンクス生まれであったが、フェラーラにとってロウアー・イーストサイドは古巣であり、その混沌とした雰囲気やアートの存在は両作によく表れている。彼が本格的に監督業を始めた1970年代当時のニューヨークの治安は最悪で、経済の衰退により失業率が上昇、貧困が蔓延し、街ではギャング活動や麻薬取引が日常的に行われていた。犯罪の脅威と薬物依存への危険に満ちたこの都市環境は、フェラーラの感性を形成していった。『キング・オブ・ニューヨーク』(1990年)では麻薬王のマフィアのボスを、『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』では暴力とドラッグにまみれた悪徳刑事を容赦なく描いた。当時のアメリカでは、このような社会不安を反映し、荒廃した都市を舞台とした数々の作品が生まれた。警察の力が及ばなくなった街で、自警的手段に出るといったストーリーも多く取り入れられ、本作『天使の復讐』や『フューネラル』といったフェラーラ作品のほか、『狼よさらば』(1974年)、『摩天楼ブルース』(1979年)、『エクスターミネーター』(1980年)などが有名である。

宗教的イメージ

カトリック教徒として育てられたフェラーラは、キリスト教的テーマを前面に描いてきた。修道女や教会、十字架のモチーフは多くの作品で見られる。また、懺悔や贖罪など暗喩的な表現を使う手法で、ときには物語を寓話的レベルまで昇華させることもあった。そのなかでもキリスト教の七つの大罪の一つ「色欲」をあらわす、性的暴行については、数々の作品のキーとなってきた。本作は性的暴行を受けたヒロインが、とっさに犯人を殺してしまうことから始まる。身を守るための殺人から徐々にエスカレートし、まだ罪を犯していない者まで殺していく。その対象は女性に暴力を振るう者、女性に性的関係を迫る者、すべて男性である。執拗に男性だけを狙う姿は、彼女が世の女性を代表し、女性を食い物にしてきた男性へ復讐しているといった風にもとれる。また、終盤の仮装パーティーに向かうシーンで、修道女の衣装に身を包み鏡の前で銃を撃つイメージに没頭する姿は、その復讐が自らに与えられた使命であるかのようである。本来神に仕える修道女の姿で人を撃ち殺すという描写は強烈なインパクトがある。神への冒涜とも取られかねないこのシーンに、カトリック教徒であるフェラーラはどんな意味を込めたのか。彼の後の作品にヒントになるかもしれないセリフがある。同じく復讐をテーマにした『フューネラル』は、マフィア一家で弟を殺された主人公が復讐に燃える物語である。犯人を探し出し殺そうとする主人公を妻は止めようとする。「法の裁きに任せよう。あなたの手を汚す必要はない。」と。しかし主人公は反論する。「我々は何でも自由に決められる。ただ正しい行いをするには神の導きが必要なのだ。俺が間違いを犯したら、それは神が見限ったんだ。すべては神の思し召しなのだ。」と言う。罪を犯しても裁かれることのない世の中で自らの正義を果たす復讐者は、自己陶酔的に私的処刑を行う殺人者か、それとも神の導きにより裁きを下す者か。仮に後者であったとしても、フェラーラは彼らに幸せな結末を用意しない。無情なラストは、善悪では割り切れないジレンマや虚しさを、観る者の心に余韻として残す。

依存症と苦悩

フェラーラ作品の特徴として、過激な性・暴力描写にならび、麻薬中毒の描写がある。後の『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』では、刑事でありながらドラッグにおぼれ、日々重ねていく己の罪に苦悩する主人公が描かれるが、これにはフェラーラ自身と重なるところがある、フェラーラは10代の頃から長年にわたり、薬物とアルコール依存に悩まされてきた。治療のため、依存患者が集まるミーティングやリトリート(日常から離れ、内省的な活動を行う)にも通ったが上手くいかなかった。2010年頃にイタリアのリハビリ施設でデトックス治療を行なった際、その間一切薬物を使えず、5分以上眠れなかったというエピソードから、フェラーラがいかに重い症状を抱えていたかが窺い知れる。悪徳刑事である主人公がドラッグ・女・暴力・ギャンブルをやめられず、神の存在を疑うまでに自分の罪に苦しむ姿は、フェラーラが経験してきた葛藤が投影されているかのようだ。そのほかの監督作品においても、生きる苦しみ、周囲を破壊してしまう痛み、自責の念との戦いを抱える人物は多く登場する。フェラーラはデトックス以後すべての依存症を克服したといい、あとは映画制作の依存症だけだと冗談めかして言ったことがある。フェラーラは、「生」への感謝、望みを言葉で表現するのは難しいが、映画でならうまく表現できたと語る。彼にとって映画制作は、神聖で究極の自己表現方法であったのだ。

作品情報テキスト/はせがわなな

映画が大好きな会社員。大学時代、映画好きの友人に1日1本のルールを課されたことから次第に映画ファンになった。1960〜2000年代の洋画を中心に、お気に入りの作品やレアな作品のDVDを集めることが趣味。最近は、自宅の棚をプチDVDショップ化することにはまっており、休日はDVDハンティングと在庫管理に勤しむ。