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Introduction作品紹介

『青春がいっぱい』The Trouble with Angels

1966年|アメリカ|カラー|112分|字幕翻訳:井上牧子

監督
アイダ・ルピノ
脚本
ブランチ・ハナリス
原作
ジェーン・トレイヒー
撮影
ライオネル・リンドン
出演
ヘイリー・ミルズ、ジューン・ハーディング、ロザリンド・ラッセル、ビニー・バーンズ
音楽
ジェリー・ゴールドスミス

storyあらすじ

孤児のメアリー・クランシー(ヘイリー・ミルズ)は、裕福な叔父のジョージ(ケント・スミス)によって、カトリックの全寮制女子校であるセント・フランシス・アカデミーに送られてしまう。メアリーは入学初日に出会ったレイチェル・デバリー(ジューン・ハーディング)とすぐに意気投合し、行動を共にするようになる。アカデミーでの厳格な生活に反発する2人はいたずら心からトラブルばかり起こし、修道女たちを振り回すのだった。修道院長(ロザリンド・ラッセル)から叱られてばかりの毎日であったが、メアリーは次第に修道女たちの献身的な姿に心を動かされていく。

about Movie本作について

1930年代にイリノイ州シカゴ近郊のカトリック校で過ごした自身の高校時代を描いた、ジェーン・トラヒーの1962年のベストセラー『Life with Mother Superior』が原作となっている。入学当初は修道女たちがなぜその道を選んだのか理解ができないメアリーであったが、彼女たちの愛や寛大さ、献身の心に触れ次第に感化されていく様子が描かれる。ヘイリー・ミルズは、豊かな感情表現で思春期の微妙な心の変化を瑞々しく演じた。アカデミー賞子役賞を受賞するなど、それまでは子役スターとしてディズニー映画への出演が多かったヘイリー・ミルズにとって、本作はコメディ俳優としての出発点となった。ロザリンド・ラッセルは、ゴールデングローブ賞を5回、トニー賞を受賞するなど映画と舞台の両方で活躍した俳優。自身もカトリック学校に通った経験を持ち、厳しくも愛のある修道院長を好演している。

about Director監督について

アイダ・ルピノ

イギリス・ロンドン出身で、アメリカで俳優・監督として活躍した。母は俳優、父は大衆演劇のスターというショービジネス一家に生まれる。14歳のとき母親に連れられ参加したオーディションに合格し、本格的に俳優業をスタート。翌年アメリカに移住してキャリアを積み、ハンフリー・ボガートやロナルド・コールマンなど当時の大物を相手に数々の作品に出演した。1947年にフリーランスになった後は監督業に軸足を移し、多くのTVシリーズと映画で監督を務め、女性として史上二人目の監督組合入りを果たした。『ヒッチ・ハイカー』(1953)は初めての女性監督によるフィルム・ノワール作品となった。

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アイダ・ルピノ『青春がいっぱい』
理解するためのキーワード

  • 1生い立ち性格
  • 2監督なるまで
  • 3ハリウッド女性監督として
  • 4インディペンデント映画
  • 5母性=無性
  • 6リアルへのこだわり

生い立ち性格

演劇界のルピノ一族の一員として生まれたアイダは、幼い頃から演技の猛特訓を受け、早くから芸能の道を歩んできた。芸能エリートとして順風満帆に進んできたように見えるルピノであったが、実は作家になりたいという夢があった。わずか7歳で劇を書いたというエピソードは有名である。王立演劇学校に入学したのも、父を喜ばせるためで、俳優であること楽しんでおらず、一族の歴史を押し付けられたと感じていたという。そういった点では、本人の意思によらず、叔父によってアカデミーに送られた本作の主人公メアリーと似た境遇の持ち主でもあったと言える。また、本作のメアリーはアカデミーのトラブルメーカーであるが、ルピノ自身も言いなりになることを嫌い、しばしば周囲を困らせることがあった。後にメアリーと同じくらいの年頃で俳優デビューするルピノは、若くして自分の意見をしっかりと持った女性であった。1931年に13歳で銀幕デビューを果たし、ハンフリー・ボガートと共演した『ハイ・シエラ』(1941)などの多数のヒット作を通じ、俳優としての地位を確立していった。このような成功の一方で、ルピノは優等生的な立ち位置には納まらなかった。女性を否定的かつステレオタイプに表現するような役など、自分が納得できない役を拒否することがしばしばあり、ときには脚本の修正まで行なった。そのため、1940年代に契約したワーナー・ブラザーズからたびたび謹慎処分を受けた。こうしたエピソードから、映画制作にかける情熱と物怖じしない性格が窺える。

監督なるまで

活動休止中、撮影や編集の過程を十分に観察することができ、監督業に興味を持つようになった。そして脚本と製作に参加していた『望まれざる者』(1949)では、撮影開始まもなく監督のエルマー・クリフトンが心臓発作を起こした後、ルピノが監督を務め、監督としてクレジットはされていないものの、実質的な初監督作となった。その後、1949年に当時の夫であったプロデューサー兼作家のコリアー・ヤングと設立した制作会社「ザ・フィルメーカーズ・インク」では、12本の長編映画を制作し、そのうち6本はルピノが監督または共同監督を務めた。彼女らは事実に基づいたリアリティのある社会派作品の制作に取り組み、低予算ではあったが、婚外妊娠やレイプなど当時事実上タブーとされていたテーマを扱い、大きな注目を集めた。

ハリウッド女性監督として

クレジットありの監督第1作目となる『恐れずに』(1950)を発表した当時、ハリウッドでは女性の映画監督はまだほとんどおらず、ルピノは草分け的存在となった。日本で名が知られるようになるのは少し後で、監督7作目となる本作『青春がいっぱい』が日本公開されたときのことであった。1945年以降に日本で公開されたアメリカ映画では、1965年日本公開のシャーリー・クラーク監督作『クール・ワールド』(1963)に続き、2作品目である。ルピノは1955年に制作会社「ザ・フィルメーカーズ・インク」の活動を停止したあと、テレビに転向し、『トワイライトゾーン』シリーズといったSFからサスペンス、コメディまで様々なジャンルのエピソードを監督した。1965年公開の『青春がいっぱい』はルピノにとって最後の劇場用映画となった。

インディペンデント映画

ルピノはかつて制作会社の資金を確保するために自らを「ブルドーザー」と呼んだという。セットのレンタル料を節約するため、公園やチャイナタウンといった公共の場所で撮影を行ったり、他のスタジオのセットを再利用させてもらったりするなど制作費を抑えることを強く意識していた。『望まれざる者』の出産シーンでは、本当の医師を説得し出演させており、冒頭で協力してくれた関係者への感謝の辞が述べられる。制作費を確保する手段として、現在でいう「プロダクトプレイスメント」という宣伝手法を取り入れており、『二重結婚者』(1953)では劇中にコカコーラやキャデラックが登場している。プロダクトプレイスメントとは、コンテンツの中に実在する商品を取り込んで、より自然に宣伝を行う手法で、1950年代に誕生したと言われている。限られた制作費の中で工夫を凝らし、最大限の可能性を追求したルピノの作品作りは、その後のアメリカ映画、特にインディペンデント系映画の歴史の礎となった。本作『青春がいっぱい』の予算は200万ドルで、以前よりは増えたものの依然低予算であった。室内撮影はハリウッドのスタジオで行われたが、外観は実際にある城やマンションを使用したほか、映画のオープニングとエンディングに登場する列車や停車場でのシーンは、アメリカ各地の実在の駅でロケ撮影された。

母性=無性

ルピノは「mother(母)と呼ばれることが好き」と語っており、スタジオの彼女の監督席の背もたれには「Mother of Us All(みんなの母)」と書かれていたという。自分のことを家族のように思ってくれれば、キャストやスタッフはもっと頑張れるはずだと思ったというエピソードから、家庭的な意識の強さが窺える。この意識は女性的な意味ではなく、母性=無性の愛という意味が近いように感じる。その理由として、ルピノの監督作には無性の愛が描かれてきたことがある。『望まれざる者』、『恐れずに』、『暴行』(1950)はそれぞれ婚外妊娠、ポリオ、レイプなど絶望的な展開から物語が始まる。いずれも絶望的な状況に陥るヒロインであるが、救いの手を差し伸べる人物が現れる。彼らは見返りを求めることなく、彼女たちを助けるのである。そして絶望的な状況の中にも、彼女たちは少しずつ光を見出していくというストーリーである。本作『青春がいっぱい』はメアリーとレイチェルの友情が前面にでたコメディ色が強い作品であるものの、前出の作品たちと共通したストーリー性が感じられる。叔父によってアカデミーに送られた状況は、少女メアリーにとって絶望的な状況と言えるだろう。そのなかで修道女たちの無性の愛に触れ、今後の人生における新しい希望を見つけるのである。生徒たちがどんなにひどいいたずらをしても見放すことなく、ピンチのときには身を挺して助けるロザリンド・ラッセル演じる修道院長の、厳しくも愛のある眼差しは母性=無性の愛として彼女たちを包み込んでいる。涙を浮かべながら、卒業する女生徒たちを見送る姿は、まさに子の旅立ちを見守る母の姿であった。

リアルへのこだわり

本作『青春がいっぱい』は実体験を元にした小説を原作としているが、ほかのルピノ監督作でもリアルへのこだわりが見受けられる。『恐れずに』では将来有望な女性ダンサーが病に倒れ、ダンサーとしての道を断たれてしまうというストーリーであるが、これは若くしてポリオを患ったルピノの実体験を元にしている。また、『二重結婚者』では、幸せなカップルが養子を迎えるために身辺調査を行ったところ、夫の二重生活が発覚するというストーリーで、こちらもアイダの個人的経験がベースになっているという(ちなみに『二重結婚者』は監督をルピノ、脚本を元夫のコリアー・ヤングが務め、実生活で離婚したコリアー・ヤングの再婚相手であるジョーン・フォンテインが主人公の正妻役を、2番目の妻役をルピノが演じるという複雑な裏側となっている)。これらを監督した1950年代は、戦後のアメリカが経済大国として成長する豊かな時代であった。そんななか婚外妊娠、レイプ、二重結婚というセンセーショナルなテーマを扱ったのは、幸せムード溢れるアメリカ社会のなかで、理想からはみ出てしまった人々に目を向け、真実のアメリカを描きたかったという意志が感じられる。また、そのうえで希望をもたせるエンディングにすることで、ルピノが示したかった社会へのメッセージが伝わってくる。 リアルへのこだわりが分かる興味深い作品がある。1965年に彼女が監督した、当時アメリカで大ヒットしたTVシリーズ『奥様は魔女』のエピソードである。本シリーズでは、豊かなアメリカの郊外で庭付き一戸建てをもつ、サラリーマンの夫と主婦の妻という当時の理想的な家族像がベースの設定となっている。魔法が使えることで「普通」でない妻が、魔法という特別な力を使わず「普通」の幸せな暮らしをめざす物語である。夫はつい魔法を使ってしまう妻を諌め、魔法を使わないように注意する。現代社会の目で見ると、女性を抑圧しているなど批判的な意見もあるかもしれないが、この物語の世界では妻もそれを望んでいることが明確に示されていることを見落としてはならない。夫婦で手を取り合い、理想の夫婦となるため奮闘しているのだ。お茶目でハッピーなエンディングを迎えるエピソードがほとんどななか、ルピノが監督した回は少し異質である。夫が「なぜ魔法を使ってはいけないと言ってしまったのだろう」という全てを覆すような点に触れる。そして夫は「魔法を使うなと言ったのは僕のエゴだ。自分にできないから君に嫉妬していた」とまで口にする。1950年代から続くアメリカの理想の中流家庭をモデルとした作品ではあるが、放送されたのは1965年とウーマン・リブの黎明期でもあった点も考えさせられる。ファンタジーの世界に浸る視聴者の目を覚まさせるような現実的なセリフは、事実を描くことにこだわってきたルピノのならではと感じる。

作品情報テキスト/はせがわなな

映画が大好きな会社員。大学時代、映画好きの友人に1日1本のルールを課されたことから次第に映画ファンになった。1960〜2000年代の洋画を中心に、お気に入りの作品やレアな作品のDVDを集めることが趣味。最近は、自宅の棚をプチDVDショップ化することにはまっており、休日はDVDハンティングと在庫管理に勤しむ。